久榮丸の遭難

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 明治十四年十月日高国猿留村亀田忠五郎所有船日本形久榮丸、三百三十八石積、鱒五十八束、昆布若干を積込み十四日猿留村を出帆、十八日恵山岬沖で暴風のため舵を破損し漂流。鱒、昆布を投棄して危難をまぬがれ函館へ向け航行。またもや日浦沖で西風のため漂流、尻岸内村の浅瀬に座礁。二百五十円で人夫百六十人を雇い一部昆布を陸上し離礁、再々度函館へ向け航海をはじめる。しかし三度目の困難が久榮丸に襲いかかる。六日暴風雨に襲われ防禦の手だてなく上磯郡富川村に打揚られ、人夫百十二人を頼のみ沖へ引き出し、七日函館に入港。(函館新聞)