明治十九年鱈釣船の漂流

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 明治十九年一月十日、鱈釣のため椴法華を出漁した川口米藏・川口留吉・川口多二郎・平沼亥之松の四名行方不明となったが、同月二十二日静内郡下下方村へ漂着全員無事救助される。(函館新聞)
 『明治十九年、郡亀伺上申録、函館縣庶務課』によれば、この漂流事件は次のように記されており前に記した函館新聞の記事と事故発生日や救助日が異なっている。これは通信・交通状態が現在のように発達していなかったために、このような差異が生じたものであろう。
 
   明治十九年 郡亀伺上申録
   函館縣庶務課(北海道蔵)
   坤第一二号
   亀田郡椴法花村及尻岸内村川口米藏外拾四名漂流行衛不相知者之儀ニ付上申。
   本年一月十八日亀田郡椴法花村平民川口米藏外九名及尻岸内村支根田内平民山崎四郎兵衛外五名之者鱈釣漁業ノ為メ該村沖合ヘ出船ノ〓其儘行衛不相知旨該村戸長ヨリ届出ニ付別紙姓名及人相着服調書相添此段上申候也
  明治十九年一月廿六日
                                          亀田郡長 片岡 新印
  函館縣令時任為基殿代理
   函館縣大書記官堀金峯殿
 
   坤第一八号
   亀田郡椵(ママ)法花村漂流行衛不相知者漂着之儀ニ付上申
   客月廿六日坤第一二号ヲ以テ亀田郡椵法花村平民川口米藏外九名及尻岸内村支根田内平民山崎四郎兵衛外五名ノ者鱈釣漁業之為メ該村沖合ヘ出船之儘行衛不相知旨上申致シ置候〓川口米藏外三名之者四昼三夜洋中ニ彷徨本年一月廿四日札幌縣下日高國静内郡下方村ヘ無事漂着端書ヲ以テ通報有之候旨親戚川口清吉外壱名ヨリ届出候趣キ該村戸長ヨリ届出ニ付別紙姓名書相添此段上申候也。
                                         元亀田郡長 片岡 新印
  元函館縣令時任為基殿代理
   元函館縣大書記官堀金峯殿