明治二十八年一月十九日、室蘭より大豆二百五十俵を搭載函館へ向け航行中のスクネール型帆船富内丸、三十五屯、恵山岬で針路を誤り、尻岸内で暗礁に触れ乗組員全員海中墜落内二名死亡、船体全く破壊される。当時の新聞はこの時の様子を次のように記している。
明治二十八年二月十九日 北海道毎日新聞
○帆船富内丸尻岸内難破の判定
該件(がいけん)に關し函館船舶司檢所に於て仝船長審問の末本月六日左の如く判定せり。
帆船富内丸船長石川縣平民 東 作太郎
右は北海道渡嶋國函館區辨天町相馬哲平所有登簿噸数三十五噸五九を有する二檣スクーネル形帆船富内丸乗組船長として執職中明治二十八年二月一日渡嶋國尻岸内村海岸に於て本船難破の頓末審問を遂くる處。本船は室蘭に於て大豆二百五十俵を搭載し明治二十八年一月二十九日午後四時函館へ向け北風に乗じて同港を出帆し同三十分大黒嶋の西方凡そ半海里の所を經過し針路を南々東に定め進航せり同夜十時頃風位南西に〓したるを以て針路を轉じて白老に寄泊す、二月一日正午十二時風位東微北に轉したるを以て同所を出帆し針路を南東微南に定め一時間十海里の速力にて進航したるに風位漸々南方に〓じ猛烈となれるを以て諸帆を短縮し同午後四時針路を南西徴西に定め一時間六海里の速力にて進航せり同時西方に當り恵山岬を遙に雪間に見る。仝八時仝岬に並行する見込にて諸帆を全縮して航力を緩め一時間三海里の速力にて進航せり同時五六分頃右舷正横後凡そ半海里の距離に燈火を見る該燈火は恵山岬燈臺ならんと思ひ針路を南西に轉じ三十分間進航し充分沖の方に出んと推考し針路を西南西に向け進航すること四十間にして右舷船主の方に更に一の燈火を発見し正に汐首岬燈臺ならんと思考し再び船首を少しく沖の方に向けんとせしに激浪舷を超へ甲板上の船室及び舵前の羅針盤を奪ひ去り船體暗礁に觸れ右舷に傾倒せり。乘組員は一同海中に墜落し僅かに岩礁に取付き死を免かるゝを得たりと、上陸の上人員を改むるに水夫石川伊之助、金川徳兵衛の二名踪跡不明なるを以て沿岸を捜索し其死體を發見し其筋に届け檢視の上仮埋葬を行ひ船體は終に全く破壊したる旨本人より陳述す。(以下略)