大正四年十一月十七日椴法華港より、生鱈、雑貨を積んで函館へ向かった観音丸、湯川尻沖合で難破する。この時の様子を当時の新聞は次のように記している。
大正四年十一月十八日 函館毎日新聞
●觀音丸の難破
湯川尻沖合にて
青森縣三戸郡湊村長谷川藤太郎氏所有當地工藤海運部扱ひ滊船第十觀音丸(六五噸)十七日午前〇時卅分椴法華より生鱈及び雜貨を積載し當地へ向け航行中下湯の川字湯の川尻沖合百五十間の箇處にて風浪烈しき爲め船体動搖し積荷片寄りたるより船体著しく傾斜し航行不能に陥りたるより同船長鍋屋又八郎以下八名の乘組員は必死となり回復に努めたるも刻々風浪猛威を加へ遂には船体破壊するに至りしが幸いにして乘組員一同無事なるを得たるも貨物絶望船体の損害是又莫大(ばくだい)なるべしという詳細後報すべし。