恵山沖第一能州丸の遭難

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   昭和十二年九月十三日 函館新聞
    昨夕刻惠山沖で
     第一能州丸(三好商會)遭難
      乗組員六名行方不明
   日高国幌泉郡笛舞村から昆布を積んで昨十二日正后出帆した市内仲濱町三好商會所有、汽船第一能州丸(百五十噸)が函館に向け航行中、同日午後五時頃惠山岬北方二十浬の点において大時化のため遭難、船體危險に瀕し救助を求めつつあるを折柄航行中の山本汽船株式會社所有汽船宏山丸が發見、乗組員五名を辛じて救助収容したが殘る六名は行方不明となり、やむなく同船はそのまま室蘭に向った。遭難の報を齎うして三好商会を訪問すると電文は至って簡單で全乘組員十一名の中五名だけ救助されてゐることだけが判りましたが船体がどうなったのか今のところ詳細は余く不明ですと語った。
 
   昭和十二年九月十四日 函館新聞
   積荷に浸水して、船体遂に亀裂
      第一能州丸の沈没
   (朝刊所報)昨十二日午後五時頃惠山岬北方二十浬の地區で遭難沈沒した市内仲濱町三好商會所有汽船第一能州丸(一五〇噸)の乘組員十一名の中既報の如く附近航行中の山本汽船會社所有汽船宏山丸に片山船長以下四名が救助せられ残る六名は遂に行方不明となったが片山船長は宏山丸に救助されて後間もなく航行中に死亡した。沈沒の原因は、滿載してゐた昆布が浸水のため膨れあがり容積が増大したため船体に亀裂を生じ水船となり沈没したものであり損害は積荷船体ともで約二万圓である。