昭和十五年一月十三日、椴法華村春日丸五トン六名乗組は、目抜取り出漁中機関に故障を起し漂流、一月二十七日惠山沖で救助される。このことについて当時の函館新聞は次のように記している。
昭和十五年一月二十九日付函館新聞
死の漂流二週間
春日丸奇蹟の生還
旣報本月十三日亀田郡椴法華村字富浦一六一亀田春治所有の発動機付漁船春日丸(五トン)に船長三浦勇太郎外五名の漁夫が乗組み惠山沖合十七浬の個所へ目抜き漁撈に出漁中機関に故障を生じ折柄の吹雪のため遭難行衛不明となり船主は水陸警察署を通じ沿岸捜索に着手大湊要港部え依頼し海軍機をもって上空より海上隈なく搜索せるもようとして船影を認めず乗組家族のもの達は海峡の藻屑と消えたものと憂いてゐたところ廿七日午後三陸・室蘭間定期船海王丸が津軽海峡を航行中漂流の春日丸を発見室蘭に曳船乗組員船長三浦勇太郎外五名を救助せる旨本署に入電があった。(中略)
小山留吉(49)・中筋留吉(22)・王村勇助(21)・道下松五郎(45)・三石義勝(30)
上着を船上に掲げ
救助を求めつつ漂流
春日丸船員殆と凍傷
〔室蘭局電話〕
荒波に死の漂流十四日間奇蹟の生還をした亀田郡椴法華村亀田春治氏所有発動機船第一春日丸(五噸)船長三浦氏外五名はメヌキ漁中汽関に故障を生じて十四日間飢餓と寒さの中に漂流をつづけ兎もすれば睡魔に襲はれ同僚を励ましつつ降りくる雪で喉をうるほし又船上に乗組員の上着を掲げて救助を求めつつあったが二十七日午前九時惠山沖合で青森縣大船戸港三陸汽船会社所有第二海王丸(五百噸)に発見され死にまさる漂流の苦闘十四日目で救助され七日午後一時室蘭港に曳船救助された何れも凍傷に冒されなかにも王村勇助(21)君は最も甚だしく室蘭市大町田中病院に収容されたが、生命危篤の状態である。