『新室蘭市史第一巻』によれば、
天保二年(一八三一)二月二十日、一隻の外国船が厚岸場所ウラヤコタンに来航した。この船はオーストラリアのタスマニア島ホバートタウン港に基地をおくレディ・ロウエナ号であった。厚岸勤番谷梯小右衛門は、ときどき発砲する外国船に備えて士卒・漁民・アイヌたちを配置したが、二十四日に至って外国船乗組員がボートで岸に近づき発砲、小右衛門らも応戦して交戦状態となった。外国船はさらに増援隊を上陸させて攻撃してきたので、小右衛門らは退却し、番屋は焼き払われ、小右衛門の従者など二人が捕えられてしまった。ところが三月三日になると、外国船はこの二人に手紙や食物を持たせて送り返し、翌四日船は東に去った。
と記されている。