これらは、大洞B・BC・C1・C2・A・A'式土器であるが、南茅部町においてはC1からA式土器を出土する遺跡が多い。
代表例として大船遺跡があげられるが、大船遺跡の発掘調査も一部であり、その内容も充分に解明されてはいない。
ただ、二重炉址といわれる円形の大形石組炉が存在しているが、これらは他の地域の調査例からみて、屋外の儀礼上の炉址、または墳墓と考えられる。
竪穴住居の発見例は、南茅部町のみならず他の地域においても少ないものであるが、円形の周溝を伴う浅い掘り込みのものであることが知られている。
炉は埋甕炉か石組炉であるとされているが、調査例が少なく確実なものとはいえない。
全道的にこの時期の集落の調査は少なく、そのほとんどが儀礼場の調査であり、七飯町「聖山遺跡」、木古内町 「札刈遺跡」においては、集石帯の中に数型式の土器の一括廃棄や、ばらばらにされた土偶廃棄なども認められる。
第47図 繩文時代晩期の石組炉と出土土器
第48図 繩文時代晩期の土偶