榎本武揚の座興

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 川汲の〓杉林家に陣どった榎本軍(土方隊)に村人が徴用された。大倉若松(当時一七歳は、戦いの休みに兵士たちの座興をみたという。座敷を開け放して、中央に屏風を立て、エイッと気合をかけて屏風を飛び越え、水を入れた盥(たらい)を抱えると気合をかけてまた屏風を飛び越えて元の座に戻った。盥の水は一滴もこぼさなかった。
 榎本武揚は、畳の小口を少しあげさせておいて、気合をかけて畳の下を潜って向こうへ出る。出たところを相手が打ち込む。それをかわして、さっと畳の下を潜って反対側に出る。また打ち込むと向こうへ潜りぬける。一日中やっても榎本武揚を打ち込めなかった。(二本柳文平・明治二一年生)
 榎本は蝦夷地上陸に際して、一団の行動を現地理解してもらうためにも、軍律を厳しくした。徒らに民衆に迷惑を及ぼさないこと、横暴、強奪、強要を固く禁じている。不本意な反目を招くことを避けようと腐心している。
 しかし、すべてに不自由で気の立っている隊士等の行動は、僻地の村々にとっては恐怖のなかでみまもるほか、術がなかった。