明治一二年七月、太政官により郡区町民編成法が制定され、北海道大小区画を廃して郡区町村制が編成された。各村々に戸長が任命され、戸長役場の設置をみた。
このときをもって各町村は、町村の開基としているものが多い。
尾札部村の戸長役場設置については不詳だが、大正期以来、公にされている公文書には、明治一二年一二月二六日設置と記されている。
臼尻村は翌明治一三年一月と記されている。尾札部村と同様、郡役所通達や届出記録については未確認である。
これを尾札部村初代戸長飯田与五左衛門の履歴書によって戸長と、戸長役場の設置をみることにする。
北海道所蔵 函館県「履歴録」イノ部(明治一八年)
飯田与五左衛門 尾札部村九五番地
(嘉永元年五月 日生)
明治一一年 三月一四日 尾札部村々用係(開拓使)
〃 一二年一二月二六日 尾札部村戸長
〃 一五年 二月 八日 尾札部村戸長(函館県)
〃 一六年 四月一八日 臼尻熊泊両村戸長兼任
〃 〃 七月一〇日 免兼任
〃 〃 一二月 七日 尾札部村学務委員
(〃二三年 三月 病気のため依願退職 二四年旧三月一日死去 四四歳)
臼尻村外一か村戸長役場と通称された臼尻村の戸長役場は明治一三年一月に設置された。昭和九年一月から臼尻郵便局のところ(旧会所、村用役所、村立病院、部落会事務所、臼尻漁業組合のあった位置)に設置された。初代戸長は相馬権太郎(天保五年生・一八三四)が就任した。