福祉センター建設計画(昭和四六年)

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 佐藤町長は米田町政から引き継いだ諸問題とともに、懸案となっていた福祉センターの建設事業に着手した。
 しかし、川汲ハマナス野の公共用地取得をめぐって米田町長の最後の議会となった昭和四六年六月の定例会に、尾札部本村の住民が庁舎移転反対の一、三一一名(委員長内藤米雄)の署名を添えての陳情があったばかりだった。
 福祉センターの予定地を、旧磨光小学校跡地にという町長の提案に対して、地元尾札部町内会との諒解がつかず、急拠、一部設計を変更して川汲ハマナス野公共用地に建設することとなった。
 一二月着工、翌八月竣工した。
 昭和四七年一〇月一日、福祉センターがオープンされた。待望の町民の集会場であり公民館の学習活動が始まった。

福祉センター