松村政太郎翁(明治三七生)談

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 明治末から大正のはじめ頃、尾札部見日の〓杉林家でニシン網を経営した。前浜に大きい魚坪(なつぼ)を築(つ)いで貯蔵した。
 〓松村家でもニシンの建網を経営した。
 木の又枝(マツカ)に土俵をつけて、要所要所に入れて網型をつくった。錨も木の錨(イカリ)だった。
 ここの海の漁が終わると、八雲へ「追いニシン」の漁にいった。胴船(どうぶね)に網を積んで櫂漕(か)いで、野田追の場所へいった。木直も二、三軒、野田追にいって漁をした。