夏から秋へのスルメ加工は、家族挙げての労働がつづく。釣りイカが大漁(一漁夫千尾釣(せんづ)け)の朝は、小中学校は「大漁休業(やすみ)」という生業繁忙休暇の臨時処置をとった。休校というよりは、児童生徒の登校が少なく授業ができなかったためである。
尾札部中学校 沿革誌の行事の記録に
昭和二五年
一一月 四日 いか大漁 繁忙休業
一一月 八日から一三日まで 同
一一月一七日から二五日まで 同
昭和二六年
一〇月二三日 本年度初のいか豊漁、後模様良好、生徒の出席悪し
いか豊漁のため二三日より二六日まで 短縮授業
一〇月二七日 漁業繁忙休業
一〇月三〇日から三一日まで 同じく短縮授業実施
一一月一〇日から一三日まで 漁業繁忙休業
一一月一九日から二二日まで 同
一二月三日 同
昭和二七年には一一月四日から二三日まで、連続休業となっている。相当のイカ大漁が続いたのである。
昭和二八年
一一月 六日から七日まで (第一次) 二日間
一三日から二三日まで(第二次) 一一日間
二五日から二六日まで 二日間
昭和二九年
一〇月二〇日から二二日まで いか大漁臨時休業
臼尻中学校の沿革誌(昭和二六年からの記入)には、昭和二六年一一月一日、生業繁忙休業(二教室増築工事の関係にて一二月二日まで)と記している。
昭和二七年以後に生業繁忙休業の記録がない。生業繁忙休業を沿革誌に記録しなかったのかどうかは不詳である。
布海苔(フノリ)・銀杏(ミミ)草摘みも欠席者が多い。昆布採りやワカメ採りにも小学生や中学生が採取船を操る手伝いをした。イカ釣りも同じように、中学生のなかには釣り船に乗り組むものもいた。
昭和三一、二年には、村教育委員会や学校・PTAによる児童福祉法などの啓発によって、次第に児童・生徒のイカ釣漁船の乗り組みはなくなった。