[漁業協同組合に改組]

1103 ~ 1104 / 1210ページ
 昭和八年、漁業組合の経済事業強化を目的として漁業法が改正された。
 これにより、漁業組合は出資制をとり、名称を漁業協同組合とし、産業組合と同様に広く経済活動をすることができることになった。
 駒ヶ岳噴火による災害復旧という大事業を実施し、沿岸のイワシ旋網漁業の全盛期であった。
 臼尻漁業組合は改組をして、昭和一〇年三月二八日付、無限責任臼尻漁業協同組合の設立認可をうけ、五月六日登記(字臼尻六九番地)。
 尾札部漁業組合も同年七月一日付で無限責任尾札部漁業協同組合に改組してその認可を得、同年八月五日登記となっている。
 組合長は、臼尻は宇野与三五郎、尾札部は田中翁正であった。ともに同村村長である。新組織の基礎づくりのため直接その責任者とされているのも、時代の変転のなかで求められた人選であり、事態の収拾でもあったともいえる。
 水産會財産を組合改組資金に、と尾札部漁業組合ほか九組合より陳情  昭和一〇年一二月の函館日日新聞に、尾札部漁業組合ほか九組合が水産会長にあてた歎願書の提出について次のように報じている。
 
   漁業法の改正に伴ひ、漁業組合は昔日の組織を改め、新に出資制度による經済團体化するので、各地方の組合も夫々組織変更を計画しつつあるが、茲に噴火湾地方の漁業組合では、漁村疲弊の結果、各自漁業家に法定の出資をなさしむるは目下の所不可能とするところとなりとし色々組織進捗方法につき熟慮の末、目下解散を伝へらるゝ茅部山越郡水産會の所有財産に目をつけ、この際漁村救済の意味において、前記出資制度による漁業組合に変更する條件として、右出資金を各漁業組合員数に割當て、助成金として補助してほしい、と尾札部漁業組合長外九漁業組合長は連署の上、歎願書を水産會長に提出したが、水産會でも場合が場合だけに、幾分はこの要求がいれられそうで、各村漁業家はこの成行を興味をもって見つめてゐる。(句読点補注)