相沢牧場は、磯谷ビロ泊野の官林貸付地三〇万三、五八二坪に、当時臼尻村の村医であった相沢良恂が経営した牧場である。
相沢牧場は熊泊村(大船)の西、カクテウ川の河口から登ったところにある。
明治三五年ごろ、有珠郡伊達村東庄兵衛と相沢良恂が共同出願して許可をうけた。屠牛蓄殖の目的で牧場をひらき、周囲に土塁・木柵をめぐらして放牧した。
八万五千坪に牧草・藍菜・薯などを栽培した。事務所一棟を建設して、管理人と牧夫の住居を兼ねた。
牡牛はデボン種、牝牛は南部の和牛を購入して総数四三頭を飼育した。のち牛数三一頭とし放牧地を二四万坪に拡張した。六万坪を牧草・穀菜畑にあてた。(資料 河野常吉「茅部郡」道立図書館所蔵)
熊に襲われたり、取扱いの不馴れから斃死するなど、経営には障害が多かったという。
当時、板木(安浦)、臼尻の部落で共同牛を飼育し、また、漁家でも牛二、三頭を乳とり牛として飼育するものがあり、漁繁期である春、夏、秋は相沢牧場に放牧を頼み、初冬になると自家に連れ戻して飼育した。