〔万畳敷高原農耕開拓のあゆみ〕

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文化年間      赤川村から城岱万畳敷を越えて磯谷温泉、磯谷に通じる山道があった。
明治36年      磯谷川上流に硫黄鉱が発見される。
  37年      熊硫黄鉱山の試掘がなされる。
  39年      鉱山の採掘が本格化して坑木、燃料材を万畳敷の雑木払下げに頼る。
大正 3年      熊鉱山の鉱夫二〇〇人をこえる。
   4年      模範林東渡島事業区内に万畳敷農耕地六〇戸区画・面積四〇四町歩が設定される。
          上川郡愛別村より岡崎、田代、瀬戸ら万畳敷を踏査視察。
  5年5月     岡崎、田代、瀬戸ほか愛別村アンタロマより万畳敷農耕地にはじめて入植。
   6年      熊鉱山の硫黄産額全国第六位となり全盛期をむかえる。
   8年      万畳敷入植戸数四五戸に達する。
  9年1月     万畳敷より部長選出認められる。
  9年9月     熊尋常小学校万畳敷特別教授場設置される。在籍二〇名(男一六、女四)
  10年      万畳敷より赤川村に至る函館道路開削工事が完成した。一八名(男一三、女五)
  11年      秋早く霜害が多く近隣の低地部への移転の陳情をはじめる。一二名(男八、女四)
  12年      新たに大舟農耕地面積八〇町歩が設定される。一〇名(男六、女四)
     7月    万畳敷特別教授場が廃止される。
          万畳敷より大舟農耕地へ二〇戸移る。磯谷野へ三戸移り、ほか各地に分散して万畳敷の
          入植農家全戸解散となる。
  13年 6月    磯谷川第一発電所が設定され運転を開始する。
昭和 2年      大舟農耕地の開墾が順調にすすみ収穫も良好であった。
  3年3月     湯川森林事務所主催第一回大舟農耕地立毛品評会を盛大に開催される。
  4年4月     第二回大舟農耕地立毛品評会開催。
    6月17日   駒ケ岳噴火。降灰、火山礫のため住居と農耕地の全域が埋没の大被害にあう。
          深さ一・三メートル。農耕地全域の再興の見込みがないものと判断し、三たび新たな入
          植地を求め代表を檜山、上川、十勝に派遣して調査。
昭和5年3月     大舟農耕地二五戸、上川郡神楽村共有地に転地入植、大舟農耕地を去る。ほかは十勝、
          軍川村、湯川村、厚沢部など知人を頼り再入植した。