函館林務署提供の資料「道有林五十年史」によれば、戦後すぐ大舟川上流の林業殖民地に、開拓家族五世帯入植と記されている。無料貸渡面積一〇町八六一三は昭和二三年、自作農創設特別措置法が適用され農地は解放されたという。しかし、結末のないところをみるとその結果は香しくなかったものらしい。町にも記録らしいものはない。
昭和二三、二四年、戦後食糧難時代は農地開拓のための入植が計画されて、調査を行った臼尻村と亀田村は、村・農協が大同団結して期成会をつくり、二、三男対策もふくめてこの未開の高原の開発に執念をもやした。
当時、運動の中心となった城岱萬畳敷開拓期成会の役員は次の人びとであった。
亀田村
村長 佐々木善松
村議会議長 守田武雄
同 議員 工藤久寿保
同 工藤常三郎
同 伊藤円次郎
助役 厚谷政治
農業委員 上田松太郎
農業技術者 川井藤五郎
同 斎藤清
土木委員長 余川久松
農業協同組合長 木戸浦一二
農民同盟 土井勝雄
同 池田博衛
鍜神農業協同組合長 水島辰三郎
渡島蔬菜出荷組合長 本谷勝太郎
同 専務理事 近江幸作
森林組合長 成田市太郎
篤農家(函館市) 田原仙次
函館市農地委員 村井三郎
同 大野
事務局長 塩田利八
臼尻村
村長 北越栄三
村議会議長 蛯谷金作
同 議員 川井金作
助役 鈴木慶一
臼尻鉱山代表 奥山俊也
同 (函館市) 奥川孝太郎
役員名簿は圧倒的に亀田村の人びとが多く、当時、亀田村の城岱から万畳敷開拓に賭けた意気込みを示す証である。臼尻村には、船入澗(漁港)の拡充や道路、産業開発を目途とした村中挙げての臼尻村振興同盟(昭和二二年九月一七日結成)があり、その代表を送ったものと思われる。
昭和二六年七月、亀田村・臼尻村の強い要請に函館市も参画して、函館臼尻間の産業道路と農地開発促進期成同盟が結成されて、万畳敷・城岱地区の開発は期成同盟の時期をむかえた。
函館臼尻間産業道路並ニ農地開発促進期成同盟
会長 北海道産業株式会社 社長 近江政太郎
委員 北海道鍛神農業協同組合長
亀田村議会 議長 藤谷久三郎
委員 北海道函館市農業協同組合長 近江幸作
委員 北海道馬鈴薯株式会社 常務取締役 奥川孝太郎
委員 臼尻村議会 議長 蛯谷金作
相談役 北海道渡島支庁長 原田英一
相談役 函館市長 宗藤大陸
相談役 亀田村長 佐々木善松
相談役 臼尻村長 鈴木慶一
昭和二六年当時、その調査に当たったときの現地の写真がある。写真は大正一二年の赤川山道に沿って、途中、鉱山があり、道路もその将来性を約束するがごとく鮮明に当時の様子を伝えている。