成田吉太郎

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茅部臼尻村大字熊村字浜歌二十七番地
  慶應二年七月生る。熊村住民か愛林の観念に乏しく毎年多額の薪炭材を濫伐する為め、樹木の年々減少するを憂ひ、殖林事業の必要を覚り明治十二年五月率先該事業を企画経営し、誠意事に當り住民の集会ある場合は必す其急務なることを説きし結果、植樹をなすものが続出し、現今同村に於ける植樹面積百三十四町歩此樹数六十萬本に達せり。之實に其熱心なる奨励に基くものにして功績著大なるものとす。
  現今本人の植樹面積二十町歩、杉、落葉松を合算して九萬本に達せり。