「尾札部村勢要覧」昭和九年版に編者の小林露竹は、郷土の景勝を次のように記した。
「本村浴岸一帯ヲ長浦(おさうら)トイフ。古称長津部(オサツベ)ヨリ斯ク称フ」と記し、「今本村景勝中彼ノ近江八景ニ類似スルモノヲ選ビテ長浦八景ヲアグ(略)」とある。いわゆる、小林露竹の命名選になる八景である。
光丘晴嵐 尾札部磨光校庭一帯
歌濱夕照 黒鷲歌浜海水浴場
築上帰帆 川汲築上崎附近帰帆
八木落雁 尾札部八木河附近
露庵秋月 川汲月見(つきみ)ケ丘露竹庵
龍寺晩鐘 川汲龍王寺之境内
山中夜雨 川汲山中温泉鶴泉荘
蘭山暮雪 室蘭燈台山之遠望
古い文書に長濱(尾札部から臼尻辺までの呼称)の名は知られている。
尾札部の地域の眺望を組み合わせて、露竹は八景を提唱し長浦を冠称したものと思われる。
露竹が最初に編集した昭和五年版の「尾札部村勢要覧」の末尾に、内浦沿岸自動車案内の項を記している。曰く「白砂青松長汀曲浦」と記している。露竹は漢文・漢詩などに蘊蓄が深く、長浦八景の発想の始めであると思われる。