会所の頃

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往昔、蝦夷地の交通(道路や乗りもの)は未発達だった。
寛政11(一七九九) 幕府は蝦夷地を直轄すると南部から馬を移入して蝦夷地の各場所に配置し、人馬継立の制度を村々ならびに場所請負人に命じて開発させた。会所に通行屋を付属させて旅人の運搬や駅馬の用に当たらせた。
      また、場所請負人に対して、自己の場所地から隣接の場所までの道路・山道などの開削・改良ならびに橋梁などの架設を督励して、蝦夷地での往来の便宜をはかるため諸施策を配慮したので、駅逓についても次第に浸透をみることになったが、いまだ海岸沿いの村や場所への継ぎ渡しがせいいっぱいであった。
安政2(一八五五) 幕府の蝦夷地再直轄にあたって一層この駅馬宿所の制度が強化された。