大正九年当時、熊泊鉱山を経営していた大正硫黄鉱山会社で、電力利用のため自家発電を計画した。
磯谷川の上流渡(わたり)の沢に発電所を建設して七〇KWの出力で鉱内の索動を動かし、事務所や社宅にも電灯がついた。
郷土最初の発電と点灯が実現したのは、大正九年一二月三〇日と記録されている。
海岸沿いの市街地より早く、山中の鉱山に電灯がともった。鉱山のお祭りは賑かで、夜になると電灯を慕うように漁村の青年達が踊りや芝居小屋に、山を登って集まってきたという。
函館水電による磯谷川第一発電所から沿岸臼尻、尾札部の市街地に送電され、漁村の家々に点灯したのは七年後であった。