六月一七日、午後四時より夜一一時三〇分まで、随時避難臨時列車が繰り出された。大沼市街・軍川・留ノ沢方面から老若男女の避難者は峠下・大野(本郷)七飯停車場に続々下車した。
七飯では七重小学校の裁縫室を第一避難所にあてて、男二七、女四一、計六八名を収容した。
役場・消防組・学校職員・青年団員などが出動して、大火鉢に番茶を用意して接待につとめた。各所にローソクを点じ焚出しを給与するなど救護活動につとめた。
大沼・軍川・留ノ沢方面から徒歩、馬車で峠を越えて続々と七飯村へ避難してくる人たちが多くなり、峠下小学校屋体と峠下消防第二部番屋を第二避難所にあてて収容した。炭火をおき、飲料水や給湯をするなど、焚出しにつとめた。
六月一九日には、噴火がおさまったことを確認すると、軍川方面の人たちは徒歩で帰村していった。この日午後六時第二避難所を閉鎖した。
六月一八日夜半零時過ぎ、活動少し衰え、山頂の火柱も色うすくなり、翌一九日午前二時ごろにいたって、さしもの大爆発の猛威もおさまり、地鳴りも火柱もほとんど鎮まった。