看護移送

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 発病のときすぐ医療の手当がされると軽症のうちに癒るものも、無医村のため、ついついのばして病気が重くなってから大騒ぎとなることが多かった。
 重病人がでると、函館の病院に移送するのは家にとっても、その村にとっても大事(おおごと)であった。村の男たちが総出で病人を戸板にのせて、左右前後四人で担ぎ小走りに急行する。交替のものも小走りでつづく。「炊き出し」を担ぐもの、当座の病人の身回品を担ぐもの、親近者がつきそって休むことなくすすむ。川汲峠をこえて八、九里の道を、急ぎ足で函館の病院まで送ってでた。
 昼ばかりではない。一刻をあらそう急病人のことで夜道をいくこともある。三交替ぐらいで嶮しい山道を越える。家族親族とともに、炊き出しの弁当を背負った者も続く。湯の川から大森浜に出ると、砂浜道がつづく。疲れた足が砂にとられて先に進まず苦労したものだという。病人も送る人たちも疲労困憊その極に達して、豊川町の病院に送りこまれるのである。
 病人が「函館へ送られた」というのは周囲のものにとって、生きて帰宅できないものとするのが常識であった。
 よくよくの重病人であり、長の道中に息をひきとる病人もあり、よほどの生命力のあるものが健康をとりもどして帰郷できるのは稀であった。