〔稲荷社〕

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 安政年間の郷土を描いた延叙歴検真図や東蝦夷地海岸図台帳などによれば、郷土の村々には、どこの村にも稲荷社があった。現在、臼尻一社のみ厳島神社となっているが、臼尻にも古くから稲荷社があった。明治五年、開拓使の達しによって、一村に二社あることは争いの源(もと)となるので稲荷社を厳島社に合祀するよう命じられて以後、臼尻の稲荷社はなくなったかに思われてきたが、実際その祭神は厳島神社に合祀して伝えられている。明治一八年の北海道志によると、道内の稲荷社は一一三座あり、各神社名の中でも最も多い社名である。