〔社会教育〕

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 戦後、臼尻村では社会教育委員を委嘱して青少年育成や体育、文化活動の奨励に当たった。
 昭和二七年七月、村教育委員会が設置され、尾札部村・臼尻村の青年学級や体育行事が開設される。
 昭和二九年、幼児のための臼尻小学校幼童学級が開設され、同年九月に開設をみた臼尻季節保育所の先駆的役割を果たした。九月、大船公民館竣工。国庫補助二〇万円、一部二階建。原木は、大船部落会の人びとの労力奉仕によって伐出された。
 昭和三〇年秋、尾札部中学校を会場に、尾札部の文化展が開催された。
 昭和三一年一月、尾札部婦人学級開設。
 昭和三二年四月、臼尻小学校に母親学級開設。同年、北海道大学留岡教授は「村づくり」の指導のため臼尻村に来村、一週間にわたる現地調査がおこなわれた。
 昭和三四年五月、町村合併により尾札部村、臼尻村の婦人団体・青年団体など、各種団体の連合会が結成される。
 昭和三五年一月一日、第一回南茅部町青年大会、同一六日には、第一回南茅部町婦人大会が開催された。
 この年、臼尻婦人会は旧て小川家の住宅を婦人会館として、研修学習の会場として管理することを任され、のち、臼尻婦人会館と呼ばれた。
 昭和三六年七月五日、町教育委員会にはじめて社会教育主事(井上隆信就任)が置かれた。
 昭和三七年、小林露竹著・南茅部町史料第一集「郷土の黎明」が発行される。
 昭和三八年、尾札部町内会設立(初代会長内藤米雄)、従来の地区の部落会が町内会に改組され、三九年六月三日には、町内会連絡協議会が結成された。
 昭和四一年四月、移動公民館構想によりライトバンを購入、「走る公民館」として町内各地域の社会教育学習の推進に当たった。
 昭和四三年一月三〇日、小林露竹編著による南茅部町史年表が発行(南茅部町教育委員会)された。
 昭和四四年一〇月三〇日、毎日新聞論説委員高原四郎の文化講演会を、磨光小学校で開催した。
 昭和四五年一月一五日の成人式は、新築の尾札部漁業協同組合の会議室で開催。従来の学校の体育館から暖房のある会場での成人式を挙行した。
 同年六月、町は青少年育成として第一回の青年国内研修を計画し、各漁業協同組合の協力により、漁業青年の青森・岩手両県の養殖漁業の視察研修を実施した。
 一一月二六日、古部児童会館の落成式が行われ、これを契機に古部小学校・PTA・婦人会の協力により、文部省委嘱の家庭教育学級を開催した。講師には、北海道教育評論社社長坂本亮、北海道教育大学函館分校教授坂東義敬ほか知名の人びとが招聘され好評を得た。
 漁協事務所を会場に、青年学級を開催、各地区の青年の交流が進められた。
 小学校単位による家庭教育学級や、地域会館による婦人学級・老人学級なども進められた。
 家庭教育学級とともに、親子読書運動をすすめ町民文庫の巡回箱を作って定期に届けた。

古部家庭教育学級/講師 坂本亮先生 昭和46年

 昭和四七年九月、福祉センターが開設されて、公民館学習が本格化する。
 佐藤町長の町づくり運動のなかで、二期目の公約として漁民大学という学習の機会を広めることが提唱された。
 構想は本格的なものを求めたが、専門学校・各種学校に適用をはずした漁業の町の生涯教育を目的として、幅広い層に専門分野をふくんだ学級講座とした。名称は沿岸漁業大学として、漁業開拓三百年を記念して昭和五三年七月に開校した。
 継続的に学習計画をつくり、広く町民の参加を得た成果が認められ、昭和六〇年、サントリー地域文化賞を受賞した。