昭和三一年一〇月、地方教育行政の組織及び運営に関する法律により、教育委員は村長の任命制となった。
昭和三四年、臼尻村・尾札部村の合併により、五月一日、南茅部村教育委員会が設置され、九月一日、町制施行により町教育委員会となった。
二ヵ村組合立の道立漁業高校は町立の漁業高校となり、実習船栄光丸の運営や町立教育研究所の促進、磨光小学校校舎改築など、発足当初は多くの課題をかかえていた。
町立教育研究所に特別委員が構成されて、町の教育目標の作成がすすめられ、原案がまとまり所長中野博から教育長に提出された。教育委員会はこれを議題として、昭和三五年一月、南茅部町教育目標が設定された。
南茅部町教育目標
一、郷土の生活に適応する健康の増進
二、依存的態度を除去し、計画的な生活設計を研究工夫する意欲の高揚
三、科学的態度の確立と生活改善並びに生産の合理化促進
四、文化の遅滞性を認識し、これを向上しようとする意欲の啓発
五、個人意識を高め民主的な社会を建設しようとする意識の高揚
六、資源人口問題の解決により豊かな明るい生活を築きあげようとする態度の養成
(表)(村)教育委員
(表)南茅部村(九月一日)町 教育委員