〔在郷軍人会〕

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 明治三七、八年の日露戦争のあと、帝国在郷軍人会が設立され全国の町や村に分会が結成されていった。日露戦争に出征した人たちが中心になり尾札部臼尻、熊村に在郷軍人会の分会ができた。
 臼尻村の在郷軍人会の規約と明治・大正年間の在郷軍人会員だった人びとの名簿がある。
 大正二年の臼尻村郷土誌によれば、帝国在郷軍人会臼尻分会は明治四四年中に結成創立された。しかし、多少人望ありとして会長・副会長など役員に選出したが下士官以上のものがいないので、指導性に乏しく分会の活動はこれといったものがなく、「昏睡状態ニアリテ萎靡振ハス」と記されている。
 このようなとき、忠魂碑建立の運動がおこり、その推進のなかで在郷軍人会の活動がすすめられ、軍人会の活動も活発化していき、忠魂碑の建立事業は実現した。
 帝国在郷軍人会尾札部分会は、日露戦争で旅順攻撃に参加し武勲をたてた陸軍工兵軍曹秋本孫七ら有志が中心となり、明治四三年ごろ、尾札部村在郷軍人団として結成されている(副団長秋本孫七)。
 明治四四年二月一一日、帝国在郷軍人会尾札部村分会発足(副分会長秋本孫七)、明治・大正期の在郷軍人会員だった人々の名簿がある。
 
     帝國在郷軍人會臼尻村分會規約
  第一條 本會ハ帝國在郷軍人會臼尻村分會ト称ス
  第二條 本分會ハ臼尻村居住ノ在郷軍人ヲ以テ組織ス
  第三條 本分會ハ軍人ニアラサルモ左ノ各號ノ一ニ当ルトキハ特別會員ト為スコトヲ得
     一、兵事々務ニ従事スル村吏員
     二、本分會員ノ目的ヲ賛成シ其事業ヲ幇助シタルモノ
     三、本分會ニ対シ功労アルモノ又ハ職員ノ推薦シタルモノ
  第四條 本分會ハ左ノ各號ヲ履行スルヲ以テ目的トス
     一、本分會ノ一致親睦ヲ計リ軍人タルノ名誉ヲ維持スル事
     二、本會々員ハ他ノ模範トナリ品行ヲ慎ミ艱難相救ヒ軍事學術ヲ講究シ以テ地方尚武心ノ發達ヲ計リ将来軍人タルベキ青年ニ軍事思想ヲ啓發スルノ行為ヲ為スコト
     三、廃兵及戦死遺族ヲ優遇スルコト
     四、有勲者ノ名誉ヲ保持セシメ之レヲ優遇スルコト
     五、會員ニシテ死亡シタルトキハ會葬シ特旨ニ依リ其遺族ニ弔慰金ヲ贈リ其葬祭ヲ執リ行フ事
     六、在営兵卒ノ家族ニシテ救護ノ必要アルモノヲ救助スルコト
  第五條 分會ニ左ノ役員及職員ヲ置ク
     分會長  一名   分會副長  一名
     理事   二名   監事    三名
     評議員  四名   書記    一名
  第六條 分會長ハ評議員中ヨリ之ヲ互選ス
   評議員ハ會員之ヲ選挙ス
  第七條 毎年二回以上例會ヲ開キ諸般ノ報告其他ノ協議ヲ為スモノトス
  第八條 會費ハ一ケ年金弐拾銭トス 十銭ツツ六月、十二月ノ二度ニ納付スルモノトス
  第九條 本規約ハ會員三分ノ二以上ノ發議ニ依リ加除訂正ヲ為ス事ヲ得