椴法華空襲

906 ~ 906 / 1034ページ
恵山岬附近は、道南の尖端地点であり、恵山岬灯台は壊滅的被害をうけたが、職員と家族は無事だった。しかし村役場と郵便局の職員らが三名死亡、ほかに負傷した。椴法華国民学校の校舎全焼。砂原、森、八雲、長万部空襲は、鉄道の駅や列車が攻撃をうけ附近の住家、住民の犠牲も各町村四、五名を数えている。
 七月一四・一五日の空襲の恐怖を逃れ、住民の多くは、山野叢林に仮小屋を建て、炊事などの煙りや、人声さえも細めて、隠れ住むように生活した。
 噴火湾空襲より僅か一か月後に日本は無条件降服した。敗戦のことを終戦という人がおおい。日中戦争より九年目、悪夢としかいいようのない永くて恐ろしい戦争はこうして終わった。
 しかし戦争で失われた生命も財産も再び帰ってこなかった。