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目録ID mp000125-200010
タイトル 弘前御城之図
タイトル(カナ) ヒロサキ オシロ ノ ズ
タイトル(ローマ字) Hirosaki oshiro no zu
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量 1舗
形状
大きさ
大きさ(縦) 274cm
大きさ(横) 330cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 元禄7年以前
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 弘前城から家中屋敷の本格的な郭外への移転は、元禄8年(1695)1月を手始めに、翌9年から12年にかけて行なわれる。この移転の結果は、元禄11年(1698)改訂の「弘前惣御絵図」に示される。二の郭には家臣の居住は記されず、空き屋敷1軒のほか、御用地の付箋のある屋敷地が1つ、そして蔵屋敷・馬屋・馬場が設けられるのみである。三の郭は屋敷割が16区画のみとなり、そのうち空き屋敷は6軒を数え、家中屋敷は大手門近辺と車門北側に六軒が残るのみで、四の郭の家中屋敷はこの時点までにすべて姿を消している。この時点で城内に残った屋敷も、宝永2年(1705)3月から大手門外と外東門外に移転され、これをもって家中屋敷の郭外移転が完了し、弘前城は城主の居館や藩政執行のための施設となり、職務遂行の場としての役所と家中の居住する私宅とが空間的に分離することになった。弘前城はこのことによって権力と権威の中枢としての存在となり、またその象徴として意識化されるようなる。この弘前御城之図には建物群は記載されていないが、機密であり描かれることのない城中枢以外がすでに存在しなくなっていることを示すものである。(浪川健治)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号
管理記号 M9
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵図
資料分類(大分類) 津軽家文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
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デジタル化の経緯に関する注記
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