解題・説明
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「分間御城絵図」は、延宝2年(1674)11月4日の日付を持つ弘前城の絵図で、縮尺は田舎間で2分1間(300分の1)である。石垣・土塁の高さ、櫓台の位置・大きさ、塀の長さ、堀の幅・深さ、橋の位置などの細かな記載がみられ、この段階における弘前城の城郭としての構造を知ることができる。ただし、近世前期の弘前城には、郭内に家中屋敷が存在し、延宝4年(1676)作成の「御本丸・二・三・四之御郭図」では、二の郭には四軒の屋敷と空き屋敷が3軒、三の郭は67区画の屋敷割のうち「御評定場」や「御客屋敷」といった藩政執行や賓客用の施設も存在するが、大部分は家中屋敷、四の郭は51区画の屋敷割のうち御鷹部屋、御普請場を除き家中屋敷である。西外の郭は35区画の屋敷割のうち、空き屋敷2軒、馬屋・御紙漉所や、それらの付属施設を除けば侍屋敷で占められている。したがって本図は、当時の城郭の実態ではなく、防御施設としての城郭の実像の一端を表現するものである。(浪川健治)
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