解題・説明
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天和3年(1683)4月1日「亀ヶ岡古舘御図」(弘前市立弘前図書館蔵)と比較すると、本図の亀ヶ岡城跡の西側、海岸沿いに広がる「平滝ノ沼」と「石沢川ノ沼」の東端を南北へ伸びる道幅5間の直線の道路がある。この南端は菰槌村から鰺ヶ沢に到る道と交差する地点から北に延び、そこには「是ヨリ北ノ浜中道迄二里二十間余」とされている。また亀ヶ岡村で筒木坂村を通り十三へと伸びる街道から西に分岐して春日山の麓を通り、この直線の道路と交わる「浜中江道」が描かれる。したがって、この「新道」とは、このいずれかを指していよう。なお、この春日山の山麓部で道の途中から分岐して、行き止まりになる道があり、「常盤石」と「是ヨリ新道筋迄八町余」とある。これからすると、春日山の山麓を通る道を指している可能性が高い。なお、所々に「御泊所」までの距離を示す附紙があるが、これは元禄9年(1696)の4代藩主信政による同8年(1695)飢饉後の状況視察と領民慰撫のために行われた巡見にともなうものであろう。(浪川健治)
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