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目録ID mp000174-200010
書名 論語
書名(カナ) ロンゴ
書名(ローマ字) Rongo
別書名
別書名(カナ)
別書名(ローマ字)
書名(欧文)
書名に関する注記
編著者
編著者(カナ)
編著者(ローマ字)
出版・書写者 〔稽古館〕
出版・書写者(カナ) ケイコカン
出版・書写者(ローマ字) Keikokan
出版・書写年
出版・書写年終
数量 62丁
特殊な装丁
寸法
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 中国語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 この『論語(ろんご)』は、弘前藩の藩校「稽古館(けいこかん)」が出版したものである。江戸時代の諸藩は、藩政を担う人材の育成、藩士・領民の教化を目的に藩校を設置した。藩校には編輯・出版の機関が置かれることも多く、書物編纂・刊行も藩校の大きな役割のひとつであった。藩・大名の援助により出版した書物を「藩版(はんぱん)」といい、特に藩校名義で開版されたものを「藩校版(はんこうばん)」と称することがある。稽古館で刊行された書籍は、まさに「藩版」「藩校版」にあたり、特に稽古館本(けいこかんぼん)とか稽古館版(けいこかんばん)という。
 書物を藩校が出版する趣旨として挙げられるのは、①教科書を出版し廉価で販売することにより、学問教育を普及させ思想統一を図る、②藩主の好学・学芸奨励の姿勢にもとづいて、古書や学者の著作、自撰の書物を刊行する、③儒者や医者など藩の学識者の著作を刊行して教学や民生に生かす、④幕府の奨励といった各点による。『論語』を稽古館が出版したのは、①の学生が用いる教科書の自給自足を目的としたものだった。
 『論語』は、儒教の最も基礎的な書物とされる四書(ししょ)、すなわち、『大学(だいがく)』『論語(ろんご)』『孟子(もうし)』『中庸(ちゅうよう)』のひとつである。十巻、二十篇からなる。孔子の言葉、行い、門人たちとの対話、門人の言葉などの記録が伝えられて、のちに編集された言行録である。
 『論語』編纂の事情ははっきりしない。後漢(ごかん)の班固(はんこ)(32~92)は、その『漢書(かんじょ)』芸文志(げいぶんし)の中で、孔子(こうし)(B.C.551~B.C.479)の死後、その弟子たちが論述編集したものであるから「論語」というと由来を述べているが、中国古典文学者の吉田賢抗(よしだけんこう)(1900~1995)は、互いに論議し吟味した問答語という意味で、後世の語録というのがこれに近いだろうと述べている。
 内容は、孔子の思想と人格を伝えることに主眼があって、そこで語られる思想の主題は、人間としての道徳的な正しい生き方とはなにかということにある。すなわち、真心(忠(ちゅう))と思いやり(如(じょ))を基本として、人間愛(仁(じん))の徳を立てること、さらに親への孝行(孝(こう))、年長者への崇敬(悌(てい))を弁えた、人格者(君子(くんし))としての在り方を模索し、さらに人間関係を保つための作法・制度を整備することが、ひいては国家の社会秩序を保つという理想(礼)を追求しているものである。
 『論語』の伝本は当初、斉(せい)(現在の中国山東省(さんとうしょう)に存在した国)に伝わった斉論(せいろん)、魯(ろ)(現在の山東省南部に存在した国)に伝わった魯論(ろろん)、孔子の旧宅の壁中から出た古論(ころん)があった。これらは前漢(ぜんかん)の末に原型を失って現在見る形にまとまった。
 漢代に儒教が国教となると、『論語』は『孝経(こうきょう)』とともに五経(ごきょう)に準じて尊重された。宋代に入ると、儒家の経典に哲学的解釈を加える宋学が盛んになり、中でも朱子学(しゅしがく)を開いた朱熹(しゅき)(1130~1200)は、『論語』を筆頭として、それに『大学』『孟子』『中庸』を加えて四書とし、従来重んじられてきた五経よりも重視した。さらに自らそれらに注釈を付してこれを『四書集注(ししょしっちゅう)』とした。
 『古事記』『日本書紀』によれば、応神天皇(おうじんてんのう)16年に百済(くだら)の博士王仁(わに)(和邇吉師(わにきし))によって、『論語』が日本に伝来したという。早くは厩戸皇子(うまやどのおうじ)(聖徳太子(しょうとくたいし)、574~622)の編んだ「十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)」や奈良時代の官撰史書『日本書紀』にもその影響がみられるが、しばらくは朝廷・貴族・僧侶などの間で読まれ、一般には広まらなかった。鎌倉時代の正安元年(1299)、元から来朝した僧侶一山一寧(いっさんいちねい)(1247~1317)が朱熹の『論語集注(ろんごしっちゅう)』をもたらして以降、宋学の説が広まり、江戸時代に入ると朱子学が幕府の保護を受けたことから、藩校から市井の寺子屋までの教育に『論語』は広く用いられるようになり、朱熹による注が一般庶民の間にも広がることになった。
 なお、江戸時代には、『論語』を「りんぎょ」、「ろんぎょ」と呼び習わすことが多かった(『日本国語大辞典』)。(千葉一大)
【参考文献】
吉田賢抗『新釈漢文大系 第1巻 論語』(明治書院、初版1960年、改訂45版2006年)
笠井助治『近世藩校における出版書の研究』(吉川弘文館、1962年)
弘前市立弘前図書館編集・発行『弘前図書館蔵郷土史文献解題』(1970年)
内山知也『新釈漢文大系 別巻 漢籍解題事典』(明治書院、2013年)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 通史3-165
管理記号 GK026-11/11イ/11ロ
カテゴリ区分 古典籍
資料種別 漢籍
資料分類(大分類) 岩見文庫
資料分類(中分類) 稽古館本
資料分類(小分類) 四書
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載 稽古館本(『新編弘前市史』通史編3(近世2) 第8章第一節)
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