解題・説明
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この『大学』は、弘前藩の藩校「稽古館(けいこかん)」が出版したものである。江戸時代の諸藩が設置し、藩政を担う人材の育成や、藩士・領民の教化を目的とした藩校の役割の一つとして、書物の編纂・刊行があった。藩・大名の援助により出版した書物を「藩版(はんぱん)」といい、特に藩校名義で開版されたものを「藩校版(はんこうばん)」と称することがある。稽古館で刊行された書籍を、特に稽古館本(けいこかんぼん)とか稽古館版(けいこかんばん)というが、「藩版」「藩校版」に該当する。 書物を藩校が出版する趣旨として挙げられるのは、①教科書を出版し廉価で販売することにより、学問教育を普及させ思想統一を図る、②藩主の好学・学芸奨励の姿勢にもとづいて、古書や学者の著作、自撰の書物を刊行する、③儒者や医者など藩の学識者の著作を刊行して教学や民生に生かす、④幕府からの奨励による、といった各点がある。『大学』を稽古館が出版したのは、①の学生が用いる教科書の自給自足を目的としたものだった。 『大学』は、もともと漢代に編まれた『礼記(らいき)』中の一篇であった。唐代に入って、詩人・文人としても知られる韓愈(かんゆ)(768~824)が、儒学の綱領を端的に示すものとして評価を与え、宋代に入って、儒教道徳の振興に意を注いだ朝廷が、官吏登用試験である「科挙(かきょ)」において進士に合格したものに対して下賜するようになった。さらに当時朝廷を支えた重臣たちも治道の根本を示すものとしてこの一篇を推し、ついに司馬光(しばこう)(1019~1086)によって、『礼記』から切り離して独立した一書とされた。 宋学の祖である程顥(ていこう)(1032~1085)・程頤(ていい)(1033~1107)兄弟は、『大学』を帝王学の原理とするよりも、広く道に志す者の修養の本則を示すものであるとし、儒学の中枢に据えた。さらに朱子学の創始者朱熹(しゅき)(1130~1200)は、本文の校訂を手掛け、註解書の『大学章句(だいがくしょうく)』を著した。この稽古館本も朱熹の校訂に拠る白文(はくぶん)を用いて版行したものである。 朱熹は、篇首から205字を孔子の語った「経(きょう)」、以下を孔子の弟子である曾子(そうし)(B.C.505~?)が「経」を解説した「伝(でん)」10章と規定し、儒学における『大学』のもつ価値を決定しようとした。さらに、自らが儒学の根本経典とした四書について、『論語』において孔子が示した立教の宗旨・規模を、『大学』によって曾子が定立し、『中庸(ちゅうよう)』によってそれがさらに探究され、『孟子(もうし)』によって発揚されるに至ったのだと体系づけたのである。さらに、孔子が教えを立て、曾子がそれを継承し、さらに子思・孟子へと伝わり、宋学の程顥・程頤に至ったのだという「道統之伝」を立てた。 『大学』の内容について、朱熹の解釈は、この書が抽象的に学問の理想を述べたものではなく、国家中枢の教育機関=大学の教育法を示したものだとする。そして、学問をする究極の目的として「明明徳」(明徳(めいとく)を明(あき)らかにする。「天から与えられたすぐれた徳性を明らかにする」という意味)、「親民」(民(たみ)を親(あら)たにする。朱熹は「民衆を教化し、革新に至らせる」と解した)、「止至善」(至善にとどまる。「この上もない善いことにふみ止まる」ということ)という三綱領に求め、学問の目的を達成するためには、第一段階の「格物(かくぶつ)」(物に格(いた)る。物事の道理を窮めただすこと)、第二段階の「致知」(知を致す。知識を極めたうえで物事の道理に通じること)、第三段階の「誠意」(意を誠にす。自分の思いを誠実にし、偽りを持たず、自らに正直にあること)、第四段階の「正心」(心を正す。心を正しくし身を修めること)、第五段階の「修身」(身を修める。身を正しくおさめて、立派な行いをするように努めること)、第六段階の「斉家」(家を斉(ととの)う。家庭を整え治めること。家族が和合すること)、第七段階の「治国」(国を治(おさ)む。その国をよく治めること)、第八段階「平天下」(天下を平らか(たいらか)にす。世の中を平和にすること)という八条目と呼ばれる修養の次第と順序を踏むことこそ、もっとも基本的な実践倫理であるとした。すなわち、人を治める道(政治的実践)と己を修める道(精神的修養)は表裏一体のものであるとし、この倫理道徳を涵養することが国家における教学の根本とその規模を示すものとして位置付けたのである。 ただし、朱熹は,本文を校訂する際に、錯簡や誤脱があるとみなし、また「伝」の内「格物」の部分を大幅に補訂の伝を補った。それは、修養の第一段階である「格物」ということを朱熹が重視していたことの表れでもあるのだが、一方で、陽明学の祖である明の王守仁(おうしゅじん)(陽明(ようめい)、1472~1529)は、朱熹のテクストクリティークの在り方を批判し、朱熹が校訂する以前の本文(古本)に拠って論を展開した。(千葉一大) 【参考文献】 笠井助治『近世藩校における出版書の研究』(吉川弘文館、1962年) 赤塚忠『新釈漢文大系 第2巻 大学・中庸』(明治書院、初版1967年、第6版1970年) 弘前市立弘前図書館編集・発行『弘前図書館蔵郷土史文献解題』(1970年) 内山知也『新釈漢文大系 別巻 漢籍解題事典』(明治書院、2013年)
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