/ 3070ページ
画像
画像ビューア
目録ID mp000206-200010
タイトル 弘前城之図
タイトル(カナ) ヒロサキジョウノズ
タイトル(ローマ字) Hirosakijo no zu
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量 1枚
形状
大きさ
大きさ(縦) 80cm
大きさ(横) 115cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 宝永3年4月16日申請
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 本史料は、宝永3年(1706)4月付で、弘前藩主である津軽越中守(信政(のぶまさ))名で幕府に提出された城郭修補絵図の控図である。
 大名が城郭を修理するためには、幕府に申請し許可を受けることが必要であった。元和元年(1615)、江戸幕府が発布した武家諸法度(ぶけしょはっと)では、大名の居城修復は必ず幕府に届け出ること、また修復以外の新たな工事を禁じることが定められた。さらに、寛永12年(1635)に改訂のうえ発令された武家諸法度では、新規の城郭築城を禁じるとともに、既存の城郭における堀・土塁・石垣の修復は幕府への届け出・許可が必要となり、櫓(やぐら)・土塀・城門については元の通りに修復を行うよう定められた。すなわち、武家諸法度では、城の普請=土木を伴う工事について厳しい統制がかけられており、地震・風水害・老朽化等で破損・修復が必要な際にも届け出が義務づけられていたのである。
 諸大名が城郭の修復普請を行う場合、手続きとして、幕府に対して修補願(しゅうほねがい)(修復願書)を提出して申請することが必要であった。寛永年間(1624~1644)からは城絵図に修復箇所を図示し、願書に添えて申請することが始まり、徐々に一般的になった。本絵図では、本丸西側の石垣のうち、北寄りの部分が5、6間ほど、また南寄りの部分が6、7間ほど沈下しているとして、この2箇所の石垣と石垣の乗る土居(石垣下にある崖の部分)の修復を願い出ている。申請に添えられる絵図面はほぼ定型化しており、本絵図のように、ごく一部の修復を願い出る場合でも全城域が描かれ、さらに普請範囲を朱線で示し、寸法や破損状況が細かく注記された。
 なお、絵図裏面の注記によって、この絵図が、宝永3年4月16日の朝、幕府老中の秋元但馬守喬知(あきもとたじまのかみたかとも)のもとに弘前藩側が持参した修補絵図の控図であることがわかる。(千葉一大)
【参考文献】
藤井讓治「大名城郭普請許可制について」(『人文学報』66、1990年)
白峰旬『日本近世城郭史の研究』(校倉書房、1998年)
三浦正幸『城の鑑賞基礎知識』(至文堂、1999年)
小石川透「弘前藩における城郭修補申請の基礎的考察」(長谷川成一編『北奥地域史の新地平』岩田書院、2014年)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 津軽家-05
管理記号 TK203-9
カテゴリ区分 静止画
資料種別 城郭補修資料
資料分類(大分類) 津軽家文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
/ 3070ページ