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目録ID mp000227-200010
タイトル 陸奥国弘前城絵図
タイトル(カナ) ムツノクニ ヒロサキジョウ エズ
タイトル(ローマ字) Mutsunokuni Hirosakijo ezu
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量 1枚
形状
大きさ
大きさ(縦) 134cm
大きさ(横) 95cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 享和4年2月申請
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 弘前城の西側を流れる岩木川はかつて、南西部で駒越川(本流)と樋ノ口川の二筋に分かれ、北西部で再合流していた。この樋ノ口川を留め切って引き込んだのが西濠だが、年月と共に土砂が堆積し埋まってしまうという問題が生じた。その上、明和3年(1766)の岩木川大洪水で土砂が大量に流入したため、堀浚いが必要となった。本絵図は、享和4年(文化元/1804)2月に作成された城郭修補絵図の控図だが、実際には堀の浚渫を願い出たのである。絵図の注記に「陸奥国弘前城堀埋候所々」とあり、9か所に渡ってその位置と間数が列記されている。朱線はこの注記の図示である。その後、西濠は湿地帯化し、藪が繁茂して自由に往来できる状況となったため、弘前藩は元治元年(1864)にも堀浚いを行った。この時は、社会状況の緊迫化で城の機能回復を急ぐ必要があり、「水田用水の工事だ」と名目を立て、無許可で工事を行っている(弘前藩庁日記「御国日記」同年9月9日条)。(本田伸)
【参考文献】
小石川透「弘前藩における城郭修補申請の基礎的考察」(長谷川成一編『北奥地域史の新地平』岩田書院、2014年)
小石川透「修復など幕府へ申請」(陸奥新報『北方史の中の津軽』54、2010年)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 津軽家-26
管理記号 M12
カテゴリ区分 静止画
資料種別 城郭補修資料
資料分類(大分類) 津軽家文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載
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