夷語を解する小野春風

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また若き日を東北で過ごし、夷語を解するといわれた名将小野春風(おののはるかぜ)を鎮守将軍として伴った。春風はその特技を生かして、甲冑をも脱ぎ捨てて一人反乱軍の中に分け入り、もっぱら蝦夷の「教喩(きょうゆ)」に邁進(まいしん)する。反乱を起こした蝦夷の根拠地は、「秋田城下賊地」の「上津野(かづの)(鹿角)・火内(ひない)(比内・大館)・榲淵(すぎふち)(鷹巣・阿仁)・野代(のしろ)(能代)・河北(かわきた)(琴丘・森岳)・腋本(わきもと)(脇本)・方口(かたぐち)(八竜・若美)・大河(おおかわ)(八郎潟・大川)・堤(つつみ)(井川・飯田川)・姉刀(あねたち)(五城目)・方上(かたがみ)(昭和・天王)・焼岡(たけおか)(金足・新城)」の一二ヵ村であるが(史料三三五)、春風は上津野という最奥地から説得を始めている。実に大胆な人物であった。それに感激した蝦夷たちは、官軍に酒食を供えたという逸話も伝わっている。この二人の赴任によって、さしもの大乱も、翌年春までには収束に向かったのである。