十一日、しかしそれでも頼朝は軍を七日間滞在した陣岡から、二五里先の厨川柵まで進めさせた。その日の夕刻には厨川柵に入ったが、この地こそ頼朝の最終目的地である。およそ一二〇年前の同じ季節に、同じ地で、頼朝の先祖の頼義によって安倍貞任追討戦が演じられた(写真100)。頼朝はここまで軍を進めることによって、配下の者たちに偉大な将軍頼義のイメージを自分に重ね合わせさせ、その全国制覇を強くアピールしたのである。さっそく戦勝の垸飯(おうばん)も催された。
源氏の嫡流、武家の棟梁たる頼朝が厨川柵に立ったこの日、治承四年以来の内乱は終わりを告げ、東北地方も頼朝の支配下に入り、全国統一がなされたのである。
写真100 前九年合戦での安倍貞任