得宗北条貞時

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この鐘を寄進した大檀那は、崇演すなわち前執権の得宗北条貞時であるが、彼は当時幕府政治の得宗による専制化を図っていたから、得宗ゆかりの津軽の地においても、御内人の結束強化をねらってこの鐘を鋳造させたのであろう。
 ちょうどこのころは、得宗の専制化によって北条氏内部での得宗の地位をめぐる覇権争いも激しく、貞時としては足元を固める必要もあった時期である。このころ平賀郡の岩楯村・平賀郷・乳井郷などで、貞時による地頭代職の安堵が一斉になされたのも(史料五九六ほか)、それと軌を一にする動きであろう。