下国伊駒安陪姓之家譜

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『下国伊駒安陪姓之家譜』(史料一一五五・写真127)は、安藤氏庶子系の子孫である松前下国氏(松前藩の家老職にあった一族)に伝えられた伝承に基づき成立したものと推測され、貞季以降の世系は『秋田家系図』に近いが、それぞれの人物の事跡についての記述は、『秋田家系図』とはかなり異なるところが多い。

写真127 下国伊駒安陪姓之家譜

 とくに南部氏との抗争について、この家譜にしかみられない記述があることが重視されてきたが、近年ではその独自の遠祖伝承にも注目されるようになってきている。
 この家譜では、冒頭に、安藤氏の始祖として「安日(姓)長髄(名)」なる人物を置く。これは『藤崎系図』『秋田家系図』では安日・長髄という兄弟、すなわち二人の人物であるとされているのとは大きく異なる。さらにこの安日長髄は、欲界第六天主他化自在天の内臣天魔の次男とされ(松前藩の歴史書『新羅之記録』にも同様の記述がある)、他の系図にはみられない「鬼」のイメージが、その出発点から強調されている。またやはり他と異なり、安日長髄が下国氏を称したことも記述されている。
 またその子孫「長国安東太」の項に、安陪仲丸(阿倍仲麻呂)の子である広庭が、父の仇討ちのために奥州に走り、下国氏と同族であると称して出羽国仙北の金洗沢之館に立て籠ったと記述し、その子孫が奥州安倍氏であると続けている。