農民の住まい

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中世の農民あるいは庶民層の居住様式は、一般的にはまだまだ不明な部分が多い。それは当時の農民の住まいが基本的に平地式の家屋であるため、地中にその構造が残りにくく、また近世に書かれた絵図面などに描かれている家屋も、貴族や武士の居館や居宅、あるいは町並みなどがほとんどで、農家の状況が描かれることが少なかったからである。
 東田遺跡(群馬県)では、中世後半の農村や農民が暮らしていた家屋(図60)などが発見され、竪穴の建物や掘立柱建物などが建てられ、その建物などを取り囲む形で潅漑用水路が設けられていた状況が浮かびあがってきている。

図60 中世後半の農村と農民の家屋 群馬県東田(ひがしだ)遺跡の復元

 おそらく当市域においても、大浦(おおうら)城跡の北側に位置する、上新岡や下新岡地域に所在する館跡の周囲には、そのような痕跡が残されているのではないかと考えられる。上新岡館跡などは開発領主が居住したような作りを想定させるものがある。またその周囲には農家の建物なども建てられていたのではないかと推測される。