凶作の状況

54 ~ 55 / 767ページ
天明三年(一七八三)五月一日は東風(やませ)が吹いて寒く、六月一日に綿入れの着物を着るほどで、土に入っても東風が吹き寒かった。八月十三日には強い風雨に襲われ、この時は、ちょうど稲の出穂時期であった。天気が回復しても風雨の影響で稲穂が黒くなっており、農民は力を落としていたようである。十六日の朝は強い霜が降りたため、橋の上は真っ白になり、この霜と十三日の強い風雨で稲の作柄はさらに悪くなったと農民たちの声に力がなかった(資料近世2No.七)。