殺生禁断の南溜池

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国日記」元禄十六年(一七〇三)二月三日条によれば、「大円寺溜池」と「五拾石町古川」の両所において、鳥猟を禁止したという。しかし当時の役人でさえ、この両所で鳥猟が禁止されていたことを知らなかったとあり、鳥猟許可の「鳥札」を出すには、さらに上役の判断を待つべしとの指令が出された。その結果は不明であるが、享保十九年(一七三四)の触書に、南溜池にて「もちニ而雁・鴨」の狩猟を禁止しているのをみれば、鳥もちによる「鳥取」が御法度であったのは確かであり、しかもこれは元禄十六年以前から禁止されていた。
 南溜池において、全面的な狩猟の禁止が改めて発令されたのは、享保十九年三月のことであった。「国日記」享保十九年三月七日条に掲載されている、その触書には、
南溜池ニ而網をさし或はもちニ而雁・鴨取候者有之段相聞得候、前々より御法度之場所有之候

とあり、狩猟法度は享保十九年に改めて確認したという性格の触書であって、鳥猟は前述のごとく、元禄十六年にあって既に禁止されていたのである。