江戸幕府の中央集権的全国支配は、寛永十二年(一六三五)の参勤交代制の実施によって確定した。参勤交代とは、諸大名が一定の時期、江戸に伺候し、または本国に就封(しゅうほう)することで、前者を参勤、後者を交代といったが、この参勤交代制こそは幕藩制的政治支配の一大支柱でもあった。同年制定の「武家諸法度」の中で、外様(とざま)大名(関ヶ原の戦後徳川氏に服属した大名)は毎年四月交代で江戸に参勤することが正式に制度化された。これは文久二年(一八六二)八月松平慶永(まつだいらよしなが)が政事総裁職(江戸末期の幕府の職名)の時、横井小楠(よこいしょうなん)の献言によって改革するまで続いた(『交通史』一九七〇年 山川出版社刊、『国史大辞典』六 一九八五年 吉川弘文館刊)。