瀬戸師五郎七

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五郎七は天保三年(一八三二)、筑前の瀬戸座から、当時毎年のように鰺ヶ沢青森に着岸していた瀬戸商人の一人である彦右衛門の口ききで入国していた。筑前の瀬戸座ではこの引き抜きを怒り、彦右衛門との取り引きを拒否する挙に出ている。五郎七が津軽に入ったのは六十七歳の時で、その後一五年間にわたり製陶とその指導に当たっていた。天保十三年(一八四二)には一度帰国を決意したが、老齢で遠路海上の旅はおぼつかなく永住を決意している。弘化四年(一八四七)八十二歳で没した。

図150.陶師筑前五郎七の墓