目次
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新編弘前市史 通史編3(近世2)
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第8章 藩政期の文化
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第三節 宗教と信仰
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二 寺院
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(八)日蓮宗の寺院
感応寺
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感応寺
(かんのうじ)は、「
旧記録
」によれば、三森村(みつもりむら)(現市内)の鎮守観音堂が衰退していたのを
本行寺
七世日義が再興、七面堂を建立し、日成を住職としたとする。「重宝錦嚢」は、元和八年(一六二二)、
本行寺
三世日意が再興し、元文五年(一七四〇)、独狐村(とっこむら)(同前)へ移ったとする。『
新撰陸奥国誌
』は、元文五年、日貞の再興とし、七面堂・日蓮堂・清正公堂があったという。