白銀小学を「朝陽」と改称

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明治十一年(一八七八)四月、白銀小学は本町二番地(現弘前税務署敷地)に校地を移し、校舎を新築した。木造洋風の二階建てで玄関は三層階になっていた。同小学では同年七月三日落成式を挙行、校名を「朝陽」と改称することにした。朝陽の校名は、同校が所有する市河米庵の書『朝陽館』の扁額(旧弘前城能楽堂に掲げられたものを同校がもらい受けたもの)と第九代津軽藩主寧親公の書(山野主馬氏寄贈)『朝陽』から採られたという。ただ、残念なことに『朝陽』の扁額は、昭和二十四年(一九四九)十月二十三日、同校の火災のときに焼失した。