幻灯会の開催

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和徳小学校日誌の明治二十年(一八八七)六月三十日に「本日ヨリ三日間講堂ニ於テ幻灯会ヲ開キタリ生徒及父兄ノ参観スル者二百乃至五百ニ及ベリ」とあるが、当時は暗幕装置などなかったためだろう、幻灯会は夜に行われた。まだ活動写真(映画)が出てくる前で、幻灯は珍しかった。ことに文化に浴することが少ない土地だけに大変な人気で、第一日目の見物人は二〇〇人、二日目は三〇〇人、三日目になると五〇〇人余の多きに達した。学校では幻灯映写の前に校長、合間に教員が登壇して、学校教育や家庭教育の重要性を話し、あるいは女子就学の必要性を語って啓蒙に努めたわけだが、これは通俗教育の最初といっていいだろう。
 幻灯の映写内容は「東京盛リ場ノ風景」とか「皇居前ノ図」という種類が多かったが、それでも生徒父兄を驚かすには充分だった。これを契機に各学校や教育会などがしばしば幻灯会を開いて、父兄の啓蒙に当たった。