目次
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新編弘前市史 通史編4(近・現代1)
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第2章 明治後期の弘前
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第七節 弘前の宗教者ほか
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六 憂国の探検家 笹森儀助
帰郷してのち
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朝鮮における教育活動を終えて帰国したとき、笹森はすでに五十七歳だったが、青森
市長
の職が待っていた。当時、市政は紊乱(びんらん)をきわめ、公平剛直にして、かつ、外交の人を求めていた。笹森は「青森市の小使」と署名した。在任一年半で税金滞納を解消、また、懸案の上水道敷設の基本方針を確定すると、さっさと辞した。青森百年の計をはかって設立した私立
商業補習学校
は、県立青森
商業
高等学校となって発展した。
大正
四年(一九一五)九月二十九日、弘前にて無位無官、七十一歳で逝(ゆ)いた。