帰郷してのち

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朝鮮における教育活動を終えて帰国したとき、笹森はすでに五十七歳だったが、青森市長の職が待っていた。当時、市政は紊乱(びんらん)をきわめ、公平剛直にして、かつ、外交の人を求めていた。笹森は「青森市の小使」と署名した。在任一年半で税金滞納を解消、また、懸案の上水道敷設の基本方針を確定すると、さっさと辞した。青森百年の計をはかって設立した私立商業補習学校は、県立青森商業高等学校となって発展した。
 大正四年(一九一五)九月二十九日、弘前にて無位無官、七十一歳で逝(ゆ)いた。