明治期からあけび蔓細工を製造、販売していた弘盛合資会社は、大正二年(一九一三)に株式会社に改組された。また、熊島木通蔓細工購買販売組合は、明治三十九年(一九〇六)に法人組織となり、弘前市に出張所を設けて製品販売を行った。
大正六年時点での販売額は一万二〇〇〇円であった。製品は店頭販売や卸売りが多く、海外にまで販売された。弘前市の調査による試算では、三つ組み食器入れ一個を作成する原料代は、精選蔓七〇〇匁(二六二五キログラム)を含め二円三〇銭であり、販売金額は二円七〇銭である。したがって利益が四〇銭である。