大正期の教育は、制度上からみると明治後期の継続で、その拡充整備を図ることが基本になっていたが、その動向を左右したのは大正三年(一九一四)七月二十七日の第一次世界大戦の勃発であった。戦時中の経済上における利得と、戦後に押し寄せた恐慌、それらを通じて湧き上がった世界的なデモクラシーないし大正リベラリズムの風靡(ふうび)、それらは教育上にも大きな影響を与えた。
時代の流れは小学校教育にも大きく作用した。すなわち児童中心主義を標榜した「大正新教育」の勃興である。大正新教育は、在来の開発主義教育が詰め込み教育に堕したとしてこれを否定し、学習過程の中心に子どもを据(す)えようとする教育であった。児童の自発的学習を尊重して、生活即教育という考え方に徹し、画一的時間割、学級組織、教室、さらにまた画一的な方法、教材、進度、教師中心主義、教科書、教材カリキュラムから解放しなければならないというのが、新教育の主張であった。